リストアは青春の再生2012/09/20 18:16



 宇宙まで届きそうな青い空に白く湧き出た雲、その下に鳥海山の麓に横たわるワインディングロード。疾走する2台のオープンスポーツカーが静粛な森の中に一際甲高い音をなびかせている。 
 疾走する銀色の影をクローズアップしていくと団塊ゾンビの姿が現れてきた。(団塊ゾンビとは団塊世代の狭間に生まれた人たちがそう呼ぶらしい、それは一度退いてくれた筈なのに、また~?)。
 二台ともHONDA車だ。先頭を走るのはおよそ48年前のS600だ、あとに続くHONDAはS2000。コナーリングではアウトインアウトを忠実に守って走行している。カーブ手前でセンターラインギリギリまで外側に膨らませる、そこからカーブのインサイドを見ると直線が見える。そこを一気にエンジン回転を下げずに突っ込む、カーブ出口が更にキツイ登りだとシフトダウンを強いられる。何しろ排気量は600cc+αしかない、回転数は7千回転ぐらいがトルクのピークなのでそれ以上をキープしながら走る。それ以下になるとビックパワーエンジンと違いアクセルの踏込とトルクが連動しないからエンストを起こす。
 だから直線でスピードをつけカーブの出口まで引っ張り一気に駆け抜けるのだ、パワーとトルクが小さい分アンダーステアーやスピンが出にくいから割と安心して突っ込める。それでも下りでは侮れないけど。

 そんな走行を歯ぎしりしながら後ろから付いてくるS200はこのS600のオーナーなのだ。その男こそS600に憧れ続けてきた。自分でコツコツとリストアし、鳥海山ツーリングを企んだ張本人なのだけれど、何故か今回の一番美味しいところを私が運転している。
 オーナーでもまだ回した事がないレットゾーンギリギリの9千回転まで
回しても軽快なエンジンを響かせている。けれど、京浜精機製作所製4連キャブレーターに吸い込まれる吸気音は排気音よりむしろ大きく聞こえる。グランプリマシンやF2、F1のエンジンと同じ設計を取り入れた超高回転型エンジンをそのままコンパクトにしたエンジン、もしかしてそれ以外作れなかったのかもしれないけど、本田イズムを強く感じるエンジンだ。

 このS600をリストアしたオーナーはお寺の住職で鎌倉時代から連綿と続く由緒正しき小さなまちの名刹、真言宗豊山派のお寺である。
 住職とは幼馴染で、気の置けない友人の一人、子供頃から機械いじりが大好きだったらしいけど家督を継ぐ運命に逆らいジャズやロックバンドを結成したりと、ちょい悪だった。私もその仲間のひとりだけどね。
 だけど、素直に仏教系の大学に進み、修行を積んでから一時期公務員として働いていた。ただ、関心するのは燃費を競う「マイレッジマラソン」に本気で参加して上位入賞を果たしたことは、尊敬に値する功績だ。何年もまえのことだけどカーグラフィックに掲載された。エコロジーの先駆け人かな?東北大震災の後には、がれき処理のボランティアに参加するなど忙しいなかS600をリストアした。
 そのことに刺激されたのがS2000のオーナー、土木技師から薬剤師に転身して薬店の社長をしている高校時代の同級生。十代のころは軽4ホンダZを乗り回していたころからS600に憧れていたらしいのだ。住職に刺激されS2000の初期型を購入してしまった。


「ホンダ・S600について」
ホンダ・S600(エスろっぴゃく)は、本田技研工業がS500に続き、1964年3月~1965年12月に生産したFR・2シーターのオープンスポーツである。
略称は「S6(エスロク)」。現在でもビンテージカーとして、一定の人気を保っている。また、西ドイツ(当時)へ輸出した初めてのアジア製四輪車。
初代 AS285/AS285C型(1964-1965年)
歴史
 1964年3月 S500の後継として発表された。価格は50万9,000円。通称エスロク。サブマフラー、ヒーター、ラジオ、助手席サンバイザー、バックアップランプ(左右)、サイドシルプロテクターを標準装備としたSM600もラインナップされた。
 1965年2月 ビジネス用の名目で、クーペが追加されている。車重は20kg増加した。
 1966年1月 、後継車種のS800が発表された。
2輪やフォーミュラカーで培われた技術を元に、自動車製造の経験不足を補うべく、自動車としては独特のアイデアやメカニズム
が散見される車両となっている。
 
エンジン
S500同様の水冷直4 DOHCエンジンで、ボア、ストロークともに拡大(Φ54.5mm×65mm)し、606ccとしたAS285E型[2]へ変更された。
同社の一連の4ストローク2輪グランプリマシンやF2、F1のエンジンと同じ設計を取り入れた超高回転型エンジンを採用している。
当時の日本車としては珍しいDOHCと4連キャブレターを装備し、606ccという限られた排気量の中で、回転数で馬力を出す
(9,500rpmからがレッドゾーン)2輪用エンジンの様な特性であった。装備された京浜精機製作所製4連キャブレーターや等長
エキゾーストマニホールドに当時のホンダF1の雰囲気が読み取れる。
サスペンション/ドライブトレーン
基本構成はすべてS500を踏襲している。
駆動方式はFRであり、フロントサスペンションは縦置きトーションバー・スプリングとダブルウイッシュボーン、リアサスペンションは、
コイルスプリングとトレーリングアームの組み合わせの4輪独立懸架である。このうちリアは駆動用チェーンケースをトレーリングアーム
と兼用としたチェーンアクスルを採用している。これはオートバイやスクーターでは採用例が多いものの、4輪車では殆ど例が無いチェーン
駆動と後輪独立懸架の組み合わせという構成となっている。この方式は、駆動トルクのリアクションにより、アクセルペダルを踏み込めばリア
を持ち上げ、戻せば沈み込む挙動を特徴とし(後退時はまったく逆の挙動)、優れた路面追従性を実現していた。
 
ボディー
S500との相違は外見的な相違は、冷却風量を確保する為に開口を増したメッキグリルと、それに伴うバンパー形状の変更以外存在しない。
ユニークなヘッドランプなど愛らしい外見で、本田宗一郎のお気に入りだったといわれる、また、リアフェンダーの張り具合は芸者の臀部
をイメージしたものともいわれている。




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