居合道審査2017/03/06 15:17

2月の寒い時期に居合道の審査会に1級審査に挑んだ。私しの練習している道場からは3人でした。1級の審査は道場の先生が審査に推薦した時点でほぼ合格らしいけれど、審査会場の雰囲気は結構プレッシャーが係り、けが人や演武を間違えるなどそれなりの難しさがありました。

愛犬ブレその22014/06/02 18:44


 

 このごろ、朝いつものように6時に起床、眠い目を擦りながらブレ(愛犬の愛称)に散歩に行こうか?と尋ねるのが日課となって久しい。
 年老いたブレも私の問いに素直に答えここ数年間占領し続けている6脚あるうちの1脚
の椅子から飛び降りてくる。
 その椅子がブレのものになるには私との長い戦いがあったのです。家族の一員として椅子に座りテーブルにつきたかったのか、いや、家長の座を狙ってか、6脚あるうちの私の椅子が空いているといつの間にか飛び乗りトグロを巻いたような姿勢で占領するのです。
 私が近づくと上目使いで見下したような顔つきでまるでこの家で一番偉いのは俺様である。
というような態度でくる。(右隅の椅子がブレ専用)


 こっちも負けていられないから力ずくで引きずり下ろす。すると渋々とテーブルの下に座り込
む、そういえばブレの決まった寝床は作らなかったのだけれど、作っても何時も違う場所に寝ているので、暫くそんな戦いを続けた。
 だけれども、決して家内の椅子には座らない。そのことにも腹が立つ。ブレもそんな飼い主の態度に疲れたのか、いつも空いている椅子を見つけてそこに座るようになった。

 ブレ専用の椅子となって、お客さんがきても譲らないものだから、完全にブレのものである。
我が家に来てくれる人達は皆犬が好きなので結構優しく接してくれるから、ブレも益々調子にのり態度が大きくなる。それには訳があるのです。知った人が来るとどうやって察しるのか分からないけれど、しっぽを振りながら凄い勢いで玄関までダッシュする。さらにお尻のあたりをクンクンとやり始める。自分の友達が来たと勘違いしているようだ。

 そんなブレも平成10年に駅前で配られていた子犬を貰い受けてすでに16年たった。ブレの年齢は人間の歳にすると80~90歳ぐらいと言われています。
 そんなことも気にかけずいつものように、昨日の日曜日の朝の散歩につれだした。ブレも喜んで散歩に出かけたのですが、途中に心臓発作をおこし道端に、ドスーンと音を立てて倒れウヲーン、ウヲーンと大きなうめき声、私は何が起きたのか分からずブレに大声で大丈夫か?と声をかけるのが精一杯でその場を動けなかった。







 そういえば数か月前から時々発作を起こしていたらしい。家内が話をしていたのを思い出ししばらく様子を見ていると目は開いているし、耳も立っている。
 
 舌が出てしまった訳ではないし、直ぐには死なないだろうと思い、家に抱いて帰ろうと考えたけれど上手く抱けない、呆然とと立っていると、ブレの知り合いのおじさんが通りかった。
 すぐに、ブレの見守りをお願いして家に戻り寝ている家内を起こし、段ボール箱とショッピングカートを両脇に抱え現場に戻ると立ち上がることは出来ないが前脚は少しピンとしていた。
だけど段ボールに乗せることできない、色々考えている時に家内がバスタオルを持って駆けてきた。
 するとブレの体にバスタオルを巻き付け軽々と抱き上げた。私には絶対に体を委ねるこは無いのに。
 ブレの運命を救ったつもりでいた私より愛情深く育てた家内の絶対的勝利に思えた。
家に戻ったブレは暫くしていつものように行動しはじめた。






展示会のお知らせ2013/10/11 12:05



10月28日(月曜日)から11月2日(土曜日)の6日間、手織り機を使い手織り生地をコツコツと作りためモノをそれぞれの思いを込めた小物から洋服まで制作しました。
 
 そんな仲間のために決して奇麗とは言えない我が家を開放して展示会を開くことになりました。お近くでご興味のある方は是非ご覧ください。一同ハラハラしながらお待ちしております。
追記
 私の奥さんとその仲間が趣味で始めた手織物、もともと奥さんは洋服のデザイナーとして働いていたので、型紙の製図などが得意なので洋服まで作ってしまったようです。


連絡先 埼玉県春日部市大沼2丁目57-5 工房464 ko-bo464@art.email.ne.jp  
                        
 


愛犬ブレ2013/03/06 17:25

第一章

1998年5月13日に駅前で子犬を貰う

世の中が実体の無い景気に浮かれているバブル真っ盛りだったようなきがする。ビンラディンが率いるテロ組織がニューク世界貿易センタービルに民間機で自爆攻撃する3年前だ。ほろ酔い気分でいつものように、駅から自宅に歩いて向かい始めた。歩き始めて直ぐに道端に立つ女性たちからの熱い視線と呼び声が入ってくる。ここは県北部に歓楽街を有している街なのだ。

 

突然路上で呼びかけられた、それも進行をさえぎるかたちで、しかも素人風の20代の女性からだ、「あの~犬をかってくれませんか?」少し酔っているし、直ぐには何のことか判断できない、だから、咄嗟にお金持っていなし買えないよと返事を返した。  

当時、今もそうかもしれないが、子犬一匹2050万円はする時代だ。しかも、3年前には可愛がっていたポメラニアンが亡くなっていて、家内は二度と犬は飼わないと公言していたのを知っている。先を急いでいるふりをして振り切ろうとしたけれど、悲しそうな目つきで、違います!!貰って欲しいのです!と懇願する。

え!貰って欲しいって言っても何も見当たらない。するとその子が指し示した先をみると大きなダンボールの中になにやらうごめいている。艶々した黒い塊りが3個震えている。更に茶色い毛玉が3個うごめいている。恐る恐るダンボールに近づくにつれ僅かな体温が顔に感じられる。手でそっと触れると生暖かい湿った体温が伝わってくる。だめだ!頭の中に家内の顔が浮かび、その先に進めてくれない。それでも小さな暖かく湿った物体は私の手を舐め始める。咄嗟に一個の物体を抱きあげてしまった。両手に乗せると、すべての体重を委ねてくる。小さく震えて私の本能に訴えかけてきた。自然に言葉を出していた。一匹、貰うかな?

えっ!突然回りの音が消えた!静まり返ったこの空気はなんだ。何かマヅイことでも言ったかな?すると頭の上の方から、え~ホント! 同時にカンカンカンカンと鉄板製の階段を駆け降りる音、今度は息を切らしたメイクの濃い女性が目の前に立ち、ホントに飼ってくれるんだったら、この子にして!お願い!!なんと,お店の前で子犬を何時間も抱いていたらしい、ダンボール箱の中で体が一番小さくて仲間はずれになっていた黒い子犬だった。 

そこの場所はナイトパブエックスの入り口階段前だ、たちまちメイクの濃いお嬢さんや素人のお嬢さんやらに囲まれてしまった。もう後には引けない、家内をどう説得するかぐるぐると頭の中が空回りしている。

そんな事情なんてかまわずに子犬の体温と香水の香りに説得させられて。コートのポケットの中には子犬が一匹入っていた。

心配しながら覚悟を決めて家のドアをあける、やはり、怒った顔の女性がいる。床に子犬を静かに置くとまだ目も開けきらずにいるのに家内の方に近寄っていく。怒った顔つきが困った表情に、すると踵をかえしコンロに向かい残りのスープを温め始めた。そして残り物のパンをスープに浸し子犬に与え始めた。子犬の勝ち!!と心の中で叫んだ!

そうして子犬は我が家の一員になった。名前はブレーン(略してブレ)。

次回第二章を書くつもりです。

リストアは青春の再生2012/09/20 18:16



 宇宙まで届きそうな青い空に白く湧き出た雲、その下に鳥海山の麓に横たわるワインディングロード。疾走する2台のオープンスポーツカーが静粛な森の中に一際甲高い音をなびかせている。 
 疾走する銀色の影をクローズアップしていくと団塊ゾンビの姿が現れてきた。(団塊ゾンビとは団塊世代の狭間に生まれた人たちがそう呼ぶらしい、それは一度退いてくれた筈なのに、また~?)。
 二台ともHONDA車だ。先頭を走るのはおよそ48年前のS600だ、あとに続くHONDAはS2000。コナーリングではアウトインアウトを忠実に守って走行している。カーブ手前でセンターラインギリギリまで外側に膨らませる、そこからカーブのインサイドを見ると直線が見える。そこを一気にエンジン回転を下げずに突っ込む、カーブ出口が更にキツイ登りだとシフトダウンを強いられる。何しろ排気量は600cc+αしかない、回転数は7千回転ぐらいがトルクのピークなのでそれ以上をキープしながら走る。それ以下になるとビックパワーエンジンと違いアクセルの踏込とトルクが連動しないからエンストを起こす。
 だから直線でスピードをつけカーブの出口まで引っ張り一気に駆け抜けるのだ、パワーとトルクが小さい分アンダーステアーやスピンが出にくいから割と安心して突っ込める。それでも下りでは侮れないけど。

 そんな走行を歯ぎしりしながら後ろから付いてくるS200はこのS600のオーナーなのだ。その男こそS600に憧れ続けてきた。自分でコツコツとリストアし、鳥海山ツーリングを企んだ張本人なのだけれど、何故か今回の一番美味しいところを私が運転している。
 オーナーでもまだ回した事がないレットゾーンギリギリの9千回転まで
回しても軽快なエンジンを響かせている。けれど、京浜精機製作所製4連キャブレーターに吸い込まれる吸気音は排気音よりむしろ大きく聞こえる。グランプリマシンやF2、F1のエンジンと同じ設計を取り入れた超高回転型エンジンをそのままコンパクトにしたエンジン、もしかしてそれ以外作れなかったのかもしれないけど、本田イズムを強く感じるエンジンだ。

 このS600をリストアしたオーナーはお寺の住職で鎌倉時代から連綿と続く由緒正しき小さなまちの名刹、真言宗豊山派のお寺である。
 住職とは幼馴染で、気の置けない友人の一人、子供頃から機械いじりが大好きだったらしいけど家督を継ぐ運命に逆らいジャズやロックバンドを結成したりと、ちょい悪だった。私もその仲間のひとりだけどね。
 だけど、素直に仏教系の大学に進み、修行を積んでから一時期公務員として働いていた。ただ、関心するのは燃費を競う「マイレッジマラソン」に本気で参加して上位入賞を果たしたことは、尊敬に値する功績だ。何年もまえのことだけどカーグラフィックに掲載された。エコロジーの先駆け人かな?東北大震災の後には、がれき処理のボランティアに参加するなど忙しいなかS600をリストアした。
 そのことに刺激されたのがS2000のオーナー、土木技師から薬剤師に転身して薬店の社長をしている高校時代の同級生。十代のころは軽4ホンダZを乗り回していたころからS600に憧れていたらしいのだ。住職に刺激されS2000の初期型を購入してしまった。


「ホンダ・S600について」
ホンダ・S600(エスろっぴゃく)は、本田技研工業がS500に続き、1964年3月~1965年12月に生産したFR・2シーターのオープンスポーツである。
略称は「S6(エスロク)」。現在でもビンテージカーとして、一定の人気を保っている。また、西ドイツ(当時)へ輸出した初めてのアジア製四輪車。
初代 AS285/AS285C型(1964-1965年)
歴史
 1964年3月 S500の後継として発表された。価格は50万9,000円。通称エスロク。サブマフラー、ヒーター、ラジオ、助手席サンバイザー、バックアップランプ(左右)、サイドシルプロテクターを標準装備としたSM600もラインナップされた。
 1965年2月 ビジネス用の名目で、クーペが追加されている。車重は20kg増加した。
 1966年1月 、後継車種のS800が発表された。
2輪やフォーミュラカーで培われた技術を元に、自動車製造の経験不足を補うべく、自動車としては独特のアイデアやメカニズム
が散見される車両となっている。
 
エンジン
S500同様の水冷直4 DOHCエンジンで、ボア、ストロークともに拡大(Φ54.5mm×65mm)し、606ccとしたAS285E型[2]へ変更された。
同社の一連の4ストローク2輪グランプリマシンやF2、F1のエンジンと同じ設計を取り入れた超高回転型エンジンを採用している。
当時の日本車としては珍しいDOHCと4連キャブレターを装備し、606ccという限られた排気量の中で、回転数で馬力を出す
(9,500rpmからがレッドゾーン)2輪用エンジンの様な特性であった。装備された京浜精機製作所製4連キャブレーターや等長
エキゾーストマニホールドに当時のホンダF1の雰囲気が読み取れる。
サスペンション/ドライブトレーン
基本構成はすべてS500を踏襲している。
駆動方式はFRであり、フロントサスペンションは縦置きトーションバー・スプリングとダブルウイッシュボーン、リアサスペンションは、
コイルスプリングとトレーリングアームの組み合わせの4輪独立懸架である。このうちリアは駆動用チェーンケースをトレーリングアーム
と兼用としたチェーンアクスルを採用している。これはオートバイやスクーターでは採用例が多いものの、4輪車では殆ど例が無いチェーン
駆動と後輪独立懸架の組み合わせという構成となっている。この方式は、駆動トルクのリアクションにより、アクセルペダルを踏み込めばリア
を持ち上げ、戻せば沈み込む挙動を特徴とし(後退時はまったく逆の挙動)、優れた路面追従性を実現していた。
 
ボディー
S500との相違は外見的な相違は、冷却風量を確保する為に開口を増したメッキグリルと、それに伴うバンパー形状の変更以外存在しない。
ユニークなヘッドランプなど愛らしい外見で、本田宗一郎のお気に入りだったといわれる、また、リアフェンダーの張り具合は芸者の臀部
をイメージしたものともいわれている。




太極拳朝練習2011/12/11 17:42

 

太極拳朝練習


 日曜日の朝7時から太極拳の朝練習を始めた。8月28日からだからすでに4ヶ月続いています。

 5人でスタートして今日で9名になりました。そのうち広場一杯になりそうです???。

中国の公園とかの広場で、大勢の人達が太極拳を楽しいんでいる景色をTVなどで観るけど日本の公園でやると人の目が気になり、まして一人ではなおさらできないもです。

 でも、数人になると全然他人が気にならなくなるから、人間一人では弱いものだなとつくづく感じますね。さらに見学者より数が多くなると逆な立場になってしまうからね。

 
 写真は明け方に濃霧が発生し公園が霧に包まれいい雰囲気になってました。でもそう思ったの
は私だけだったかもしれないのです。他の人達は開始時間に随分と遅れてきましたから。

 濃い霧の中で姫神の曲「火振り神事」に合わせて太極拳ができたらいいなと思ってたけど10分足らずで霧がはれて強い日差しが。
 ご近所にお住まいでご興味のある方いつでも参加できますから、お気軽に声を掛けて下さい。





花火大会2011/10/06 20:43

 先週の10月1日土浦の花火大会を見学出掛けた。友人はネットが桟敷席を申し込んで当たったので招待されてのです。
桟敷席は6名用で1万8千円ぐらいしたらしい、流石に花火が良く見える場所に(河川敷)高さ2メートル近い足場を組んでその上にコンパネが敷いてある。相撲の升席のように四角にテープで範囲を示してあるだけのシンプルな作り。
 
 当日の人手は公表35万人、桟敷席の周りの畑や空き地にはキャンプセットでバーブキューまで用意して見学している人達や、道路にブルーシートに包まって観ている若い恋人らしき二人、などなどでごったがえしていた。
 
 始めての花火の撮影に備えて重い三脚をセットして撮影し始めたのだけど、25ミリ~200ミリズームレンズで花火の行き先を追いながら撮影したけど全然フレームに収まってくれないのだ、腕が悪いのだ、おまけに露出もままならない!
 あれこれ思考錯誤しながら、最終的には三脚なしの手持ち撮影でASA200にしてオート露出でズームを利かせた写真になりました。










戸田海岸2011/08/21 13:56


先週伊豆地方にある戸田漁港の民宿に仕事仲間たち16人で出掛けました。
この写真は初日の朝4時頃目が覚めてしまったので、カメラ片手に漁港付近を散歩し出掛け写真でも撮ることに、しかし、まだ日はでていいない、三脚を持たずに出てしまったけど、デジタルカメラの利点を生かして感度を3200にセット、橋の欄干にカメラと腕を添えてバルブ撮影開始!約30秒程度で一枚目撮影。
戸田海岸-007

続けて2枚目は少し日が出てきたもののまだ暗いやはり橋の欄干にカメラと腕を添えてバルブ撮影開始!約30秒程度で一枚目撮影。
戸田海岸-005

湊には小さな小さな漁船が沢山停泊している。これはイカ釣り漁船に見えるけどかなり小さいいつもTVや映画で見るものとは違うけど港に漂う船の雰囲気は南欧みたいに感じてきた。
暫く薄暗い漁港を探索していると、船着場付近で釣をしている人が大勢いる。でも釣れているのは小魚ばかり、失礼!朝早くからご苦労さまでした。
戸田海岸-004


夜明けとともにタンタンとジーゼル機関の音がして手漕ぎボートぐらいの漁船が出向していく。
大きな波が来ないように何故か祈ってしまった。
戸田海岸-003

戸田海岸の海の透明度は水深5メートルはある。真鯛の稚魚や石鯛の稚魚なの小魚たちが群れをなして泳いでいる。こんなところに真鯛や石鯛とは不思議だなと、それは町の水産所が毎年数万匹の稚魚を放流しているからだそうです。こんなお魚を釣り上げたらダメですよ!!
戸田海岸-009


民宿の前の海、そういえば夜中の2時ごろ少し大きめな地震があったらしい。津波が来たら愛車のミニと一緒に海に浮かぶかな。



朝の散歩2011/06/05 08:12

 少し前の写真ですが、我が家の近くにある朝の景色です。
朝陽がのぼるころに若葉を照らす光はいつもの見慣れた景色も違った世界に見えるときがありますね。
 とくに雨上がりの朝早くに起きて散策に出掛けると割合優しい人たちにふれることがある。
お互い何かいい状況を共有している仲間意識みたに。わりと会話が苦手なわたしでもスラスラとおしゃべりが出来るのはやはり朝の雰囲気がそんな気分にさせているのかもしれない。
 ※一番下の写真は夕方です。








散歩2011/04/23 21:21

最近散歩のときにデジタル一眼レフを持ち歩いている。
カメラは以前から好きだけど、昔から高額なものは買え
ないけど、コンパクトデジタルカメラでは何かと物足りな
くて3年前に購入して仕事や趣味に使っている。
 散歩の時に持ち歩くようになったのはやはり年齢を重
ねるたびに、自然への愛着と植物に目が行くようになっ
てきた。
 街路樹から季節の移り変わりを知らせてもらい、四季
を肌で感じるようになってきた。何気なく散歩している小
道に咲く野花、用水堀に枯れる草木に新しく芽生える花
との戦いなどもったいないくらに道端を飾っていたのであ
る。