残像2021/05/02 10:59

夕日を眺める坂東太郎
「序章」

 第四コーナーに入ったばかりだ。
顎を突き出し前のめりに倒れそうになる体を辛うじて足が僅かながら交互に出し合い前に進んでいる。
極端な酸欠状態に口を大きく開き空気を吸おうともがいているが一向に改善しない。ギブアップするより倒れこむまで進むしかないのか。


「原風景」

1-1「川」
大きくゆっくりと静かに流れていく、空にはひばりがピーピーとさえずり、穏やかな日差しが優しく顔を照らす。芝を刈り取ったあとに残る草の匂いはカサカサした心にクリームを塗ってくれたような気分にさせる。ここは街より少し小高いところを流れる川、坂東太郎の名で知られる利根川、そこが私の原風景。時々その支流である江戸川の土手に散歩に出掛けるのは心が落ち着くからで、原点に戻ったようになれるからである。

1-2「草魚が獲れた」

いつまでも、いつまでも、枯れることなく流れ続けているようにみえた川だけど、その年は何十年ぶりかの渇水のときだったのだろか。
親父は釣りが大好きな人で、一緒に何度も連れて行かれた記憶がある。だけど、ダボハゼ以外に釣り上げたのをみたことがないのも不思議な記憶だ。
投網も近所の名人に教わり始めたらしいけれど、こちらも雑魚しか獲れた記憶にない。後からお袋から聞いた話だけど、親父と一緒になったころは暇があると釣堀に出掛けていたらしい。東京の下町に育った親父は釣堀での釣りが得意らしかった。
その年は何かが違っていた、家に遊びに良くる親父の友達連中が興奮した様子で話している。だれ誰さんは、こーんな 大きいのを獲ったよ。えっ 釣ったんじゃないの? 違うよ!獲るんだよ。親父の顔がわずかに赤らんだ、明らかに興奮を抑えきれない様子である。それはそうだ、釣りでも投網でもいつも雑魚ばかりしか獲れない親父には二度と回ってこない幸運かもしれないのだ。
  その話を近くで聞いていた私は頼まれた訳ではないけど、胸が高鳴りして、すぐに川に走っていった、子供の足では30分ぐらい掛かったような気がする。夢中だったので以外に近く感じた。そこで見た光景はいつもと違いっていた。川の流れは全くないのだ。利根川には水がなく、ところどころに水溜りがあるだけだ、その周りには多くに人が集まっていて、何人かが水溜りに入って、大きなフォークなようなものを振りまわしている。魚を獲っている風景とは思えない。恐る恐る大人たちのそばまでいくと今まで見たことのない大きな魚が転がっているではないか、その大きさはマグロ並みで魚とは思えない。
  魚を獲っている人の頭には炭鉱夫みたいな懐中電灯を頭につけている。これから暗くなったときの用意だ、その道具類は全てピカピカしいて家の親父が持っているようなものではないのだ。水溜りの中では大きな魚が水面から飛び跳ねている。それを農耕用フォークでめった刺して獲っているのだ。そんな光景を一刻も早く親父伝えなければと走って家に帰り、その光景を息を切らしながら伝えると、すでに情報は伝わっていて、その人達は町の有力者で後の県会議員になる人物だったのである。その息子は後に国会議員にまでなるが汚職で逮捕されてしまう。
    あんなに魚釣りが好きな親父は何故かその魚獲りにはあまり乗り気ではなかった。理由はいまだにわからない。魚は草魚といって食べても美味しくないらしいけど。子供の私にとってはとても残念な気がしてたまらかったのである。


1-3「上空から差し伸べられた手」
  いまだにその光景はハッキリと覚えている。キラキラゆらゆらと上空がゆれている幾つにも重なるリング大きくなったり小さくなったりするのがわかる。息が苦しい、とても苦しい、口からは泡がぶくぶくと上に上昇していく、そのそばに小さな手が見えている僕の手だ空に向かって目いっぱい伸ばしてしているけど届かない。もー駄目だ意識が薄らいでいく。そのとき、大きな両手が上から伸びてきた。下から伸びる小さな両手をつかんだ、スッーと身体が浮かんだ。苦しくなくなくなった。水中から引き上げられたのである。怖かった!本当に怖かった!そのときのことは両親には話さなかった。それだけ怖かったのである。それかたらは水の中には入れなかった。 当然泳ぎは苦手のまま大人になってしまった。そこは、渇水のときに出来る川の流れの途中にある水溜りだった。


1-4「お参り」
 水神様、天神様、何の神様だったか知らなかったけど、母親に連れられてお参りに行ったときの事である。大勢のひとに囲まれていた記憶はある。
当然背が低いので人ごみというより人の壁である。必死に逸れないように母親の手をしっかり握っていた記憶もハッキリと覚えている。少しずつ前に進む、やがて母親はお賽銭をガマグチから出し投げ入れる準備をしている。小銭を探すのに苦労したらしくお札は邪魔になるからと私に渡したのだ。運が悪いのか良いのか、やがて最前列まで来ると母親はお賽銭箱にお金を投げ入れた。当然私も手に持っているお札を上手く投げ入れたのである。
やがて、人ごみから離れて屋台で何かを買って帰る手はずになっているのだが、お金が無い!母親は私に預けたはずのお札を要求したが手遅れである。そのお札はお賽銭箱に投げ入れたのだから。
それか?川で溺れそうになった時、手を差し伸べてくれた人がいたのは偶然ではなかったかも知れない。水神様だったのか。

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