居合新規会員募集2024/04/15 11:31



只今、趣味の整理中。
何かと気の多い私は土偶作り・太極拳・居合道・家庭菜園と広げ過ぎでその為の道具類「手作り道具も含め」がやたらと多く整理に苦労してまっす。
断捨離を初めてたことがあったけれど、今は頭の片隅にもない、仕方がないので、誰も喜ばない土偶作りや同じような趣味の太極拳を休み、家族や近所の人が喜ぶ家庭菜園に絞ろうと決めた。
そんな時居合道の仲間が病気やら家庭の都合でやめていく人が出始め、補充するための新規会員募集のポスター制作を頼まれたので作ってみました
https://r4.quicca.com/~iai464/index.html



三磨の位2023/09/01 05:22



【三磨の位】「学びのプロセス」学習論


柳生新陰流は室町時代末期に生まれた剣術流派で、
流租は上泉伊勢守、二世が柳生但馬守(石舟斎)で、
「三摩之位」は、第三世の兵庫助が著した口伝書
『始終不捨書』の冒頭に出てくる教えのようです。
実際の口伝書では円の上に3つの点が打った図が
シンボルとして描いてあるだけだそうです

剣道には「習い」「稽古」「工夫」の三つの要素が大事であり、
これを一体的に練り磨かなければならない。これを三磨の位という。(柳生蓮也斎)
マスターしたいスキルや体得した良師を探す

1-「習い」無批判に受け入れる
2-「稽古」無意識に体得する「模倣を繰り返す1技1万回」
3-「工夫」体得したスキルを自分なりに分析し気づく事


【守破離】
 剣道茶道などで、修業における段階を示したもの。 
守破離とは、茶道や武道などにおける師弟関係のあり方の一つと言われています。
 もとは千利休の訓をまとめた『利休道歌』にある、「規矩作法 守り尽くして破るとも離る
 るとても本を忘るな」を引用したものとされている。

「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につけ
 る段階。 
「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、
 心技を発展させる段階。 
「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立さ
 せる段階
 
 


年齢差による感覚的時間2022/11/16 13:56

年齢差による感覚的時間

 年齢と共に時間の経過が早く感じると言う人が多い、若いときは時間の経過がゆっくりと進み、年を重ねるとともに一年があっというまに過ぎていき一年前の出来事も昨日のように感じていくから実際に昨日起こった出来事などすぐに忘れ去り過去の出来事と混同してしまう。
 人の持つ感覚的時間の流れをクロソイド曲線にあてはめるとその理由が説明できそうです。
流行もそうだ、最近若い世代が古着をきているのをみて、昔はやったものを箪笥から引っ張りだしてもなんとなく違うと感じたものです。それもクロスロイド曲線で説明できそうなのです。ではクロソイド曲線とは簡単に説明するると渦巻き曲線で中心から離れるにしたがいR(半径)が大きくなる。難しい定義はGoogleなどで調べてください。
 最近見かけなくなったアナログレコードプレーヤーはご存知とは思いますが、最初と終わりの方とは音質が違うと言ってた人がいましたが、うなづけますね。出だしの速度と中心部では、針の進む速度は当然に違っているはずですから、あれ、それって人の持っている感覚的時間と似ていませんか? 但し回転している方向は違いますけどね人の時間は中心部から外側に渦巻き状に進んでいるので。
 
クロソイド曲線-2
クロソイド曲線-1

クロソイド曲線にみる黄金比と流行曲線

上の写真はクロソイド曲線を真横からみたもの、下は写真は真上からみたもの
流行曲線も毎年繰り返し同じことがおきているようで、じつは視点を真上からみてみると
重なって見えていたことが、実はどんどん遠くに離れていってるようです。
 

翼のないエンジェル2022/10/03 18:07

「空に浮かぶ」

必死に両手をバタバタと激しく上下に動かすが、一向に上昇していかない。
何故かそんな夢を見ることが多いのだ。
気分の良い夢の時には左手がピーンと前に伸びそしてひと漕ぎするとスーと前に進みやがて空中に浮かんでいく。
 なんて気持ちいいのだ。下をみるとどんどん上昇していくのがハッキリと分る。
 そして上空から地上を眺める気持ち良さは快感だどんどん高く前に進んでいく、右に45度旋回しながらさらに上昇だ、手をこがなくともずんずん進んで雲の上までに達する。
ここは別世界なのだ。
地上の人間の棲む世界じゃない僕だけの体験できる羽を得たのだ。

 何故そんな夢をいまだに見るのだろう、おそらく子供のとき近所に住む疎外された家がありそこの子供(同じ年頃)が時々私に近づき、こんな話をする。
僕の家には不思議な箱があり、それを開けると小さな翼がはいっていてそれ
を付けると空を飛べるんだ!と言っていた。
 私は本気でその子に今度絶対にみせて欲しいと頼んだ。だけどいつも、いつも、
今度ね!と断られる。
何度も々そのことが気になり、毎回出会うたびにその話をするのだが、いつも同じ
答えなのだ。だから私は夜になるとその子が空らを飛んでいる
姿を夢の中にみてしまうのだ。でもいつも一緒に遊んでいる仲間ではないの
だだから会える機会が少ない。だけどその箱に入っている翼がだんだん
ハッキリと自分の中に見えてきて、空に浮かんでいる姿を想像し、ますます、
その子に会いたくなり家の前までいくのだが、親が遊ばせてくれない。
子供心にも何か変だ。
思い切って親しい友達の親になぜかあの子と遊ばせてくれないのかを尋ねた。
するとあそこの家に近づいては駄目と!私は理解できぬまま暫くすぎてしまった。
やがて、その家族はどこかに引っ越してしましたのである。

ユリと雹2022/06/14 07:55

6月3日夕方突然空が真っ暗になったかと思った時、風が吹き雨音が聞こえやがてその音は激しく屋根や窓ガラスを叩く音に変り暫くするとなんの脈絡のない狂ったリズムの激しさを増した騒音・窓の外に見える水しぶきが突風に煽られ西から東へと巻き上げそれも一定方向ではなく北から南渦巻くように空間が洪水のごとく雨が溢れている。そのあとからバラバラと氷の塊が外壁を壊さんとばかりに激しく打ち付ける。そうだ!家庭菜園の作物は夏野菜の苗が成長し始めた一番大切な時、やはり大きなダメージを受けてしまった。トマトなどは几帳面さが仇になり一番上の成長する芽を残しそのほかの芽はすべて切り取っていた。氷の塊は無残にもその芽を打ち首のように斬首してしまった。他の野菜の苗も葉に大きな穴があけられ破れ傘のようだ。それでも、野菜の苗たちは4~5日後には復旧を試みているようだそんな中で隣の畑の人が百合の花をくれた、私が種から育てたオクラの苗との交換でしたが綺麗に育った嵐に打ち勝った花を自作の花瓶に飾った。

試斬会2022/03/20 15:41




 2021年12月5日幸松体育館にて春日部居合同好会主催の試斬会がおこなわれ、
私は叔父から譲り受けた真剣「濃州住藤原兼元」で斬ってみました。私しの技量でもスパスパ斬れてビックリ、流石に昔の刀は良く斬れ日本刀のすばらしさを見直しました。

残像2021/05/02 10:59

夕日を眺める坂東太郎
「序章」

 第四コーナーに入ったばかりだ。
顎を突き出し前のめりに倒れそうになる体を辛うじて足が僅かながら交互に出し合い前に進んでいる。
極端な酸欠状態に口を大きく開き空気を吸おうともがいているが一向に改善しない。ギブアップするより倒れこむまで進むしかないのか。


「原風景」

1-1「川」
大きくゆっくりと静かに流れていく、空にはひばりがピーピーとさえずり、穏やかな日差しが優しく顔を照らす。芝を刈り取ったあとに残る草の匂いはカサカサした心にクリームを塗ってくれたような気分にさせる。ここは街より少し小高いところを流れる川、坂東太郎の名で知られる利根川、そこが私の原風景。時々その支流である江戸川の土手に散歩に出掛けるのは心が落ち着くからで、原点に戻ったようになれるからである。

1-2「草魚が獲れた」

いつまでも、いつまでも、枯れることなく流れ続けているようにみえた川だけど、その年は何十年ぶりかの渇水のときだったのだろか。
親父は釣りが大好きな人で、一緒に何度も連れて行かれた記憶がある。だけど、ダボハゼ以外に釣り上げたのをみたことがないのも不思議な記憶だ。
投網も近所の名人に教わり始めたらしいけれど、こちらも雑魚しか獲れた記憶にない。後からお袋から聞いた話だけど、親父と一緒になったころは暇があると釣堀に出掛けていたらしい。東京の下町に育った親父は釣堀での釣りが得意らしかった。
その年は何かが違っていた、家に遊びに良くる親父の友達連中が興奮した様子で話している。だれ誰さんは、こーんな 大きいのを獲ったよ。えっ 釣ったんじゃないの? 違うよ!獲るんだよ。親父の顔がわずかに赤らんだ、明らかに興奮を抑えきれない様子である。それはそうだ、釣りでも投網でもいつも雑魚ばかりしか獲れない親父には二度と回ってこない幸運かもしれないのだ。
  その話を近くで聞いていた私は頼まれた訳ではないけど、胸が高鳴りして、すぐに川に走っていった、子供の足では30分ぐらい掛かったような気がする。夢中だったので以外に近く感じた。そこで見た光景はいつもと違いっていた。川の流れは全くないのだ。利根川には水がなく、ところどころに水溜りがあるだけだ、その周りには多くに人が集まっていて、何人かが水溜りに入って、大きなフォークなようなものを振りまわしている。魚を獲っている風景とは思えない。恐る恐る大人たちのそばまでいくと今まで見たことのない大きな魚が転がっているではないか、その大きさはマグロ並みで魚とは思えない。
  魚を獲っている人の頭には炭鉱夫みたいな懐中電灯を頭につけている。これから暗くなったときの用意だ、その道具類は全てピカピカしいて家の親父が持っているようなものではないのだ。水溜りの中では大きな魚が水面から飛び跳ねている。それを農耕用フォークでめった刺して獲っているのだ。そんな光景を一刻も早く親父伝えなければと走って家に帰り、その光景を息を切らしながら伝えると、すでに情報は伝わっていて、その人達は町の有力者で後の県会議員になる人物だったのである。その息子は後に国会議員にまでなるが汚職で逮捕されてしまう。
    あんなに魚釣りが好きな親父は何故かその魚獲りにはあまり乗り気ではなかった。理由はいまだにわからない。魚は草魚といって食べても美味しくないらしいけど。子供の私にとってはとても残念な気がしてたまらかったのである。


1-3「上空から差し伸べられた手」
  いまだにその光景はハッキリと覚えている。キラキラゆらゆらと上空がゆれている幾つにも重なるリング大きくなったり小さくなったりするのがわかる。息が苦しい、とても苦しい、口からは泡がぶくぶくと上に上昇していく、そのそばに小さな手が見えている僕の手だ空に向かって目いっぱい伸ばしてしているけど届かない。もー駄目だ意識が薄らいでいく。そのとき、大きな両手が上から伸びてきた。下から伸びる小さな両手をつかんだ、スッーと身体が浮かんだ。苦しくなくなくなった。水中から引き上げられたのである。怖かった!本当に怖かった!そのときのことは両親には話さなかった。それだけ怖かったのである。それかたらは水の中には入れなかった。 当然泳ぎは苦手のまま大人になってしまった。そこは、渇水のときに出来る川の流れの途中にある水溜りだった。


1-4「お参り」
 水神様、天神様、何の神様だったか知らなかったけど、母親に連れられてお参りに行ったときの事である。大勢のひとに囲まれていた記憶はある。
当然背が低いので人ごみというより人の壁である。必死に逸れないように母親の手をしっかり握っていた記憶もハッキリと覚えている。少しずつ前に進む、やがて母親はお賽銭をガマグチから出し投げ入れる準備をしている。小銭を探すのに苦労したらしくお札は邪魔になるからと私に渡したのだ。運が悪いのか良いのか、やがて最前列まで来ると母親はお賽銭箱にお金を投げ入れた。当然私も手に持っているお札を上手く投げ入れたのである。
やがて、人ごみから離れて屋台で何かを買って帰る手はずになっているのだが、お金が無い!母親は私に預けたはずのお札を要求したが手遅れである。そのお札はお賽銭箱に投げ入れたのだから。
それか?川で溺れそうになった時、手を差し伸べてくれた人がいたのは偶然ではなかったかも知れない。水神様だったのか。

2021年 謹賀新年2021/01/02 18:51

2021年明けましておめでとうございます。関東地方は晴天が続き畑の作物が悲鳴を上げそうです。雪の多い所の皆さんに申し訳ありませんが2日連続のすっきりした朝日を迎えています。今年はブログの新規更新を増やしたいと思います。
本年もよろしくお願いいたします。

ミニサイクル2020/06/22 17:36

約30年前にブリヂストン製の折り畳み自転車を購入した。たしか車に積んで海や繁華街に出かけその場所で自転車にのり回した記憶がある。その時の車は日産テラノ「四駆」だったので難なく積んで出かけることが出来たけど、そのあとはセダンが続きトランク積むと
邪魔扱いになり。折りたたんで押し入れにしまい込んであったのを最近引き出してみたらタイヤがパンク。おまけにタイヤの溝がすり減ってない状態だった、そこで、前後のタイヤ交換を自分でやることに、おまけにワインの木箱をネットで購入して取り付けました。

残念ながら鉄などの溶接は出来ないので、すべて木製で加工しました。




おふくろ2018/08/24 15:16

お盆に久しぶりに実家に帰った。父は私が37才のときに亡くなり母はその3年後に父のもとに旅立ち既に30年以上もたった。
私の母の顔の記憶は葬式用の写真が一番残っている。かなりぼやけた修正跡のある少し歪んでいる写真だ。
いつも思うけど何故葬式用の写真は同じようなモノクロ写真が多いのだろう。最近のものはカラーで写真館で撮影したようなものがあるけど、あれは事前に撮っておいたものだろうか?
ところが、突然兄がおふくろの若い時の写真が親戚の家から出てきたので貰ってきた。
一瞬、誰かわからなかった、でも不思議な気持ちで眺めていた、
きれいな人だな、タイプだなと思っていた。すると兄が右から2番目がそうだよと言った。なんだか照れてしまった。きれいな人と思っていた人が私のおふくろだなんて。だが、すぐに自慢する気持ちになった。誰かに見せようと嬉しくなった。
良いお盆でだった。